松浦晋二郎ブログ

民事訴訟は私人間の権利義務を私的自治の範囲内で自由に処分する場であり学問上の真理を確定するための場ではないので民事訴訟と学問上の真理確定とは無関係である。従って自己の著書論文に多数の学問的間違いを書いている学者が、自己の著書論文の学問的間違いを指摘した相手のことを恨み、名誉毀損を理由に民事訴訟で当該相手を訴えて恫喝し無理やり相手に「謝罪文」を書かせてみても学問上の真理を自己に有利に書き換えることは不可能/東大文学部卒業。同志社ロー修了/行政書士試験合格/連絡先ivishfk31@gmail.com

ジェンダー学においては、概念の曖昧不明確性はそれ自体、男性から有効な反論・防御の手段を奪う強力な武器

 【注意:本記事は私の個人的見解・感想を述べたに過ぎず、特定人に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。人によって物の見方・感じ方はさまざまです。】

 

(ひもとく)セクハラ 被害者・加害者、ねじれる認識 千田有紀:朝日新聞デジタル

朝日新聞社内にもセクハラ疑惑がある(注1)。

にもかかわらず千田有紀氏は上記記事においてその件について一切触れていないのはおかしい。

 

◎上記記事において千田有紀氏は「女性は常に被害者、男性は常に加害者」という思考枠組みから相変わらず脱しきれていない。現代日本社会ではこのような単純な思考枠組みでは「ハラスメント」という社会的事象を正確に把握することができない。現在のハラスメントにおいては女性が加害者、男性が被害者、であることもある。

 

◎「ハラスメント」概念それ自体、学問的に大きな問題点を抱えている。たとえばそもそも「ハラスメント」の定義そのものがいまだ定まっておらず、不明確である。たとえば法律学では定義、立法趣旨、法律要件・法律効果、といったものの存在によって学問的に議論されるべき対象や範囲が厳格に規律されるが、ジェンダー学という学問においては新しく生起した概念(たとえば「セクハラ」概念)の定義を意図的に曖昧不明確にしたまま具体的事案に当て嵌める傾向が強い。なぜなら例えば法律学では概念の定義や法律要件、法律効果、といったものを予め、逐一、明確にしておくことは、概念の定義や法律要件を当て嵌められる相手方に対して有効な反論・防御の手段を与えることにつながり、このことが相手方の基本的人権を尊重することにつながる(注2)が、ジェンダー学においては曖昧不明確な概念を曖昧不明確な形で具体的事案において男性に対して当て嵌めたほうが当該男性から有効な反論・防御の手段を奪うことができてかえって好都合だからである。つまりジェンダー学においては、概念の曖昧不明確性は、それ自体、男性から有効な反論・防御の手段を奪う強力な武器なのである。これは裏を返せばジェンダー学では曖昧不明確な「セクハラ」概念を曖昧不明確な形で当て嵌められ、「セクハラ」呼ばわりされた男性から有効な反論・防御の機会を奪い、男性の基本的人権を尊重しない、ということを意味する。この点で法律学ジェンダー学とは決定的に異なる(注3)。

 

◎千田氏は、上記記事において「受け手の不快さだけではなく、社会的常識に照らし合わせてある程度『客観的にセクハラは決められる」と書いている。

しかし千田氏は著書『女性学/男性学』の中で、科学は決して客観的な事実を伝えるのではない、そもそも「客観的な事実」の存在自体怪しい、そもそも中立性も客観性も存在しない、と書いている(下記参照)。

このように千田氏は著書では客観的事実の存在を否定し、中立性も客観性も否定しておきながら、セクハラの成否の判断の場面においてだけ「客観的」判断を主張するのは矛盾している。これはジェンダー学という学問のご都合主義、学問としての信用性の低さ、を如実に示している。

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◎千田氏は上記記事において「正社員で役職者の男性は、・・・女性は就労する必要がなく、職場にいるのは性的対象にされるためとでも思っているようだ。」と書いている。

しかし千田氏が金子雅臣著『壊れる男たち セクハラはなぜ繰り返されるのか』の内容について紹介したければ「正社員で役職者の男性は・・・」という一般化した書き方をするのではなく例えば「本書に登場する正社員で役職者の男性は・・・」という限定的な書き方をすべきである。極めて少数の事例だけを取り上げて一般化し「正社員で役職者」の日本人男性全体が性獣であるかのように言うのは社会学者として問題である。

 

【注】

注1

ksl-live.com

news.nifty.com

 

注2

例えば刑法上、暴行が犯罪構成要件とされている犯罪については犯罪類型ごとに「暴行」の定義やその強度が判例や学説によって明確にされている。そのためたとえば強制性交等罪(177条)の暴行は「被害者の反抗を著しく困難にする程度」の暴行であるとされているので強制性交等罪で起訴された被告人は、「自分はたしかに被害者に暴行を行ったが『被害者の反抗を著しく困難にする程度』の暴行は行っていない」と考えている場合には、そのように反論すれば有効に反論・防御することができる。そもそも刑事訴訟においては被告人が「被害者の反抗を著しく困難にする程度」の暴行を行った事実の挙証責任は検察官にあり、被告人は当該事実を真偽不明に持ち込みさえすればよい。ところが「セクハラ」をしたと告発された男性は「セクハラ」概念の曖昧不明確性ゆえに有効な反論・防御は非常に難しくなり反論防御の難易度は急上昇する。

注3)女性ジェンダー学者は男性の暴力性を指摘するが、本文で指摘したように、ジェンダー学は故意に曖昧不明確な概念を用いることによって男性から有効な反論・防御の手段を奪い、男性の基本的人権を尊重しない、という点でジェンダー学こそまさに暴力である。ジェンダー学が有するこの暴力性は大いに注目されるべきである。

ちなみに現在、強制性交等罪の暴行・脅迫概念そのものを廃止する方向での改正作業が進行中である。これなども、女性の内心における性行為についての同意の有無、という、曖昧不明確な基準に依拠して性犯罪の成否を判断しようとするその方向性において、男性から有効な反論・防御の手段を奪う方向での改正作業である、との評価が可能である(=強制性交等罪の「セクハラ」概念化)。従来の日本社会は、概念の定義を明確にし、分析的に物事を考えることを善としてきた。しかし現代日本社会は概念の定義を意図的に不明確にし、分析的思考を放棄して、従来の日本社会が歩んできたベクトルの方向とは正反対の方向を歩みつつある。

 

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