松浦晋二郎ブログ

民事訴訟は私人間の権利義務を私的自治の範囲内で自由に処分する場であり学問上の真理を確定するための場ではないので民事訴訟と学問上の真理確定とは無関係である。従って自己の著書論文に多数の学問的間違いを書いている学者が、自己の著書論文の学問的間違いを指摘した相手のことを恨み、名誉毀損を理由に民事訴訟で当該相手を訴えて恫喝し無理やり相手に「謝罪文」を書かせてみても学問上の真理を自己に有利に書き換えることは不可能/東大文学部卒業。同志社ロー修了/行政書士試験合格/連絡先ivishfk31@gmail.com

千田有紀氏発言「戦後日本では、・・・権力が家族に介入しないことが民主的な家族だと考えられたため、家族の中の構造が見えにくくなり、家庭内の暴力が隠されるという副作用が生まれました」??

【注意:本記事は千田有紀氏の記述に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。人によって物の見方・感じ方はさまざまです。】

 

 千田有紀氏(武蔵大学教授):「日本型近代家族」は限界 家族形成をサポートする仕組みの充実を - 特集 - 情報労連リポート

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千田有紀氏は上記記事において「戦後日本では、・・・権力が家族に介入しないことが民主的な家族だと考えられたため、家族の中の構造が見えにくくなり、家庭内の暴力が隠されるという副作用が生まれました」と述べています。

 

しかし例えば親族間の強姦は家庭内暴力の最たるものですが、戦前の刑法でも、親族間の強姦について刑法は不問に付していました。この理由について滝川幸辰教授は戦前、「この種の行動にまで干渉することは刑法の任務の外にあると考えたからである」と述べています(滝川幸辰著『刑法各論』昭和8年、弘文堂書房、76頁)(注1)。

 

そして現行の刑法においても親族間強姦は刑法の条文上、特に処罰の対象にはされていません(注2)。つまり刑法が親族間強姦の処罰について条文に規定しないことによって不問に付してきた点は戦前・戦後で一貫しているのです。

 

ということは少なくとも親族間強姦に関する限り、千田氏の言うように、戦後、「権力が家族に介入しないことが民主的な家族だと考えられた」ことによって「家庭内の暴力が隠されるという副作用」が生じた、というよりは、むしろ戦前も戦後も一貫して家庭内暴力(親族間強姦)は隠され続けてきたのです。

 

千田氏によると戦後の家庭の民主化によって「家庭内の暴力が隠されるという副作用」が生じた、という説明になっていますが、上述のように戦前からすでに家庭内の暴力が隠されていた面があったのです。この点で千田氏の上記説明は、戦前と戦後について論理的整合性を欠いた説明になっています。

 

社会学は社会に生起する複雑多様な社会現象を矛盾なく論理整合的に説明する学問ですので、戦前と戦後の家庭内暴力についても矛盾のない論理整合的な説明が求められます。

 

【注】

注1)滝川幸辰著『刑法各論』昭和8年、弘文堂書房、76頁。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442617

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 注2)刑法解釈論としては、夫婦間の強姦について処罰肯定説があります。山口厚『刑法各論』第2版、有斐閣、2010年、129-130頁。

 

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