松浦晋二郎ブログ

民事訴訟は私人間の権利義務を私的自治の範囲内で自由に処分する場であり学問上の真理を確定するための場ではないので民事訴訟と学問上の真理確定とは無関係である。従って自己の著書論文に多数の学問的間違いを書いている学者が、自己の著書論文の学問的間違いを指摘した相手のことを恨み、名誉毀損を理由に民事訴訟で当該相手を訴えて恫喝し無理やり相手に「謝罪文」を書かせてみても学問上の真理を自己に有利に書き換えることは不可能/東大文学部卒業。同志社ロー修了/行政書士試験合格/連絡先ivishfk31@gmail.com

千田有紀氏・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(13)「千田岩波論文」と「千田博士論文」は、いずれも千田氏と岩波編集者との共同執筆??

【注意:本記事は千田有紀氏の博士論文に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を確定する趣旨ではありません。人によって物の見方、感じ方は、様々です】

 

ツイッターにはなぜ、誹謗中傷があふれるのか――ネットの損害賠償等請求の経験から(千田有紀) - 個人 - Yahoo!ニュース

 ◎千田氏は上記Yahoo!ニュース記事の最後に次のように書いています:

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このように千田氏は「千田岩波論文」(注1)は岩波の担当編集者が何度も何度も添削して丁寧に書いた、と述べていることから「千田岩波論文」は千田氏と岩波編集者との共同執筆です(※あくまでブログ主個人の感想です。以下同じ)。

 

そして千田氏は著書『日本型近代家族』185頁で、「千田岩波論文」は「博士論文の原型となった論文」である、と書いています。つまり岩波編集者が何度も何度も添削して丁寧に書いた「千田岩波論文」が「千田博士論文」の原型になっている、ということです。

 

岩波編集者が何度も何度も添削して丁寧に書いた「千田岩波論文」が「千田博士論文」の原型になっている、ということは、「千田博士論文」の中に岩波編集者の執筆部分が相当な割合で含まれている、ということを意味します。

 

そして「千田岩波論文」(約30頁)よりも「千田博士論文」(約190頁)の方がページ数が多いです。

 

以上の事実関係を整理すると次のようになります:

(事実1)「千田岩波論文」は岩波編集者が何度も何度も添削して丁寧に書いた。

(事実2)「千田岩波論文」が「千田博士論文」の原型になっている。

(事実3)「千田岩波論文」(約30頁)よりも「千田博士論文」(約190頁)の方がページ数が多い。

 

(事実1)乃至(事実3)の事実関係からすると、「岩波編集者の執筆部分」、「千田岩波論文」、「千田博士論文」、の包含関係は次のようになります:

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以上から判明する事実は「千田岩波論文」も、「千田博士論文」も、いずれも、千田氏と岩波編集者との共同執筆である、という事実です。

 

ところが「千田岩波論文」も、「千田博士論文」も、いずれも著者名は「千田有紀」の単著となっています。

 

「千田岩波論文」も、「千田博士論文」も、いずれも、実際には千田氏と岩波編集者との共同執筆であるのだとすれば、なぜ2つの論文の著者名は「千田有紀」の単著として刊行されているのでしょうか?

 

共同執筆なら共同執筆である旨、明記すべきではないでしょうか?

 

以上のような千田氏の行為を、学者の世界ではなんと呼ぶのでしょうか?

またこのような行為は、千田氏のキャリアにどのような結果を招来するでしょうか?注2

 

【2018年10月10日加筆】

広辞苑』(第5版、岩波書店)によれば「添削」の言葉の意味は「詩歌・文章・答案などを、書き加えたり削ったりして改めなおすこと」とあります。本記事で取り上げた千田氏の論文について言えば、千田氏以外の第三者である岩波編集者が書き加えたり削ったりして千田氏の論文の記述内容を改めなおした行為が問題です。少なくとも岩波編集者が千田氏の論文に「書き加えた」行為は執筆に該当します。しかも千田氏は岩波編集者に「何度も何度も添削していただいた」と強調して書いています。もしも岩波編集者によって通常の編集作業の枠内にとどまる作業(誤字、脱字や段落の訂正など)がなされたにすぎなかったのであれば千田氏はわざわざこのようなことを書かなかったはずです。そもそも研究者が、自分の学術論文について、研究者ではない岩波編集者に「何度も何度も添削していただいた」と書くこと自体、異常な話であって、本来、取り立てて書く必要がなく、黙っていればよい記述をあえて千田氏がここまで強調して書いたということは、千田氏の論文は岩波編集者によって、通常の編集作業の枠内にとどまらない、余程特別な手が加えられた(=岩波編集者による執筆行為)に違いないと判断した次第です。以上から私は千田岩波論文を千田氏と岩波編集者との「共同執筆」であると考えました。もちろん人によって様々な物の見方、考え方はあろうかと思います。もしかしたら私の誤読かもしれませんし、誤読ではないかもしれません。本記事はあくまで私の個人的見解・感想ということでご理解ください。

 

【注】

注1

千田氏には全く同一タイトルでありながら、「博士論文」と、「博士論文ではない論文」という、2つの異なる論文があります。

全く紛らわしく、迷惑な話です。

2つの論文のタイトルはいずれも、

「家」のメタ社会学 : 家族社会学における「日本近代」の構築

です。

「博士論文ではない論文」は

岩波『思想』No898・1999年4月号 

の所収です。

当ブログでは上記2つの論文を区別するため、千田氏の博士論文を「千田博士論文」、岩波『思想』No.898号所収の、博士論文ではない論文を「千田岩波論文」と呼ぶことにしています。

つまり

千田氏の博士論文                →「千田博士論文」

岩波『思想』No.898号所収の、博士論文ではない論文→「千田岩波論文」

と呼びます。

注2

千田氏は著書『女性学/男性学』(2009年、岩波書店)169頁において、自分の大学院時代について次のように書いています。「大学院時代にお世話になった元指導教員の上野千鶴子先生。・・・『とくべつに指導はしない』と公言されている先生のもとで、本当に自由にやらせてもらいました。」

 千田氏は何を「本当に自由に」やらせてもらったのでしょうか?