松浦晋二郎ブログ1(連絡先:ivishfk31@gmail.com)

2017年2月から4月まで松浦晋二郎は千田有紀の論文に「千田の博士論文」と「千田の博士論文ではない論文」という全く同一タイトルの2つの異なる論文が存在する事実を知らずに後者を前者であると勘違いしてブログ記事を執筆していた。ところが千田は松浦が上記勘違いをして記事を書いている事実を松浦に教えずに黙ってじっと見ていて松浦のブログ記事数がたまったところで同年4月下旬名誉毀損を理由に提訴した。千田は自己の意思で千田の主張する「名誉毀損」の「損害」を自ら拡大させ続けた。

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(12)有賀喜左衛門は敗戦によって「封建的」な「前近代性」という意味を担わされた「家」という言葉をそのような意味から救い出そうとした?103頁

 

 

1、千田有紀氏は博士論文において有賀喜左衛門)の「家」概念について、次のように書いています(傍線部分):
 
ここで重要なことは、やはりこの時点でも家と家族がわけて考えられてはいない点、家が「集団」であると考えられている点である。「有賀の家、同族研究には問題点も残されており、その後の展開をまたねばならなかったことも事実である。ことに、家に関しては十分でなく、戦前では、夫婦関係に根拠をおく生活共同体であるとする考えが浮かび上がってくる程度であり、それが明確な表現でもって打ち出されたのは、戦後、昭和22年の『家について』である」(米村[1977:43])。つまり「家」という言葉が、敗戦によって「封建的」な「前近代性」であるという意味を担わされることによって、有賀は逆に「家」という言葉をそのような意味から救い出そうとして、「家」概念を構築していくようになる。(103頁)
 
上記引用部分のうち「」内は千田氏が米村昭二『家族研究の動向 ー戦前戦中におけるー』(1977年)43頁から引用した部分です。
しかし、私が上記米村論文を読んだ限りでは、上記千田博士論文の引用部分の「つまり」以前の記述と、「つまり」以降の記述とが「つまり」という接続詞では結びつかないように思われます。
米村氏は、有賀喜左衛門の「家」概念について、戦前では、夫婦関係に根拠をおく生活共同体であるとする考えが浮かび上がってくる程度であり、それが明確な表現でもって打ち出されたのは、戦後、昭和22年の『家について』である、と書いているに過ぎません。
米村氏は、千田氏の言うように、「家」という言葉が、敗戦によって「封建的」な「前近代性」であるという意味を担わされることによって、有賀は逆に「家」という言葉をそのような意味から救い出そうとして、「家」概念を構築していくようになった、とは書いていないのです。
それにもかかわらず上記文章の「つまり」の前と後が、なぜ、「つまり」という接続詞で結びつくのか、私には全く理解不能です。
 
2 上記のとおり、千田氏は、「家」という言葉が、敗戦によって「封建的」な「前近代性」であるという意味を担わされることによって、有賀は逆に「家」という言葉をそのような意味から救い出そうとして、「家」概念を構築していくようになった、と書いています。
しかし、この千田氏の記述は事実なのでしょうか?
千田氏が用いている「救い出す」という表現の社会科学的な意味がそもそも不明ですが、文脈から考えておそらく、「家」という言葉が、敗戦によって「封建的」な「前近代性」を有する、との意味を担わされたのを、有賀はそのような「封建的」な「前近代性」という意味とは別の「家」概念を構築していくようになった、との趣旨であると思われます。
 
この点、千田博士論文140頁に、上記103頁の引用個所と同趣旨の次の記述があります(傍線部分):
 

「西洋的な民主主義のイデオロギー」が、「日本の歴史的社会的条件を」「いかに強く否定し、拒絶したところで」、「日本特有の民主化過程が日本の社会変動の表現のひとつ」であると、有賀は戦後否定されてきた日本の「家」を、「民主主義」的存在として救い出そうとする。

 
 
千田氏のこの記述から考えると、戦後の有賀が「家」という言葉を「封建的」な「前近代性」という意味から救い出そうとしたという103頁の上記記述の意味は、有賀は、戦後「封建的」な「前近代性」として否定されてきた日本の「家」を、「民主主義」的存在として救い出そうとした、という意味であると思われます。
 
では、有賀が、戦後否定されてきた日本の「家」を、「民主主義」的存在として救い出そうとした、という千田氏の主張は正しいのでしょうか?
 
以下ではこの点を見てみましょう。
 
有賀は『農業の発達と家制度』(1947年、「有賀喜左衛門著作集Ⅸ」(未来社)所収)において、次のように書いています(傍線部分):
 
◎・・・そこでこの精神的地盤とはなにを指すかといえば、これはヒューマニズムへの自覚があるかないかを基準にしてよいと思う。・・・この自覚を欠くことが封建性であるとしてよいとすれば、日本の社会は全体としては、なお封建的な文化水準にあるとみてよい。・・・日本人が造り出した現在の社会制度は、すべてこれを示している(114頁)
◎日本の家制度は決してそんなによいものではない。多くの無理があるのである。(118頁)
 
有賀は、「日本の家制度は決してそんなによいものではない。多くの無理がある」と書いて、「家」に否定的な発言をしている点からすると有賀は千田氏の言うように「家」概念を救い出そうとした、ということにはならないように思われます。
 
一方で有賀は1949年8月『封建遺制の分析』(有賀喜左衛門著作集Ⅳ、31頁)では、次のように書いています(傍線部分):
 
私はかつて近代的なものはヒューマニズムへの自覚に標識されると見て、この自覚のないものをすべて封建的であると考えたこともあったが、その誤りであることは同様である。日本現代社会はヒューマニズムへの自覚は希薄であるが、これは日本社会が封建的であるから生じたのかどうかは決定的ではないと見たい。私は日本に封建制度の存在したことに疑いを持つが・・・(31頁)
 
有賀はこのようにこのように述べて上記1947年の発言を否定しています。ということは有賀は1948年8月時点では千田氏の言うように「家」概念を救い出そうとしていたようにも読めなくもありません。
 
他方で有賀は『家制度と社会福祉』(1955年、有賀喜左衛門著作集Ⅸ)では次のように書いています(傍線部分):
 
◎私としても家制度に封建制が反映していないなどと思うわけではない(128頁)
◎私は家制度の廃止に賛成する立場を認めないわけではない(129頁)
 
ここでは有賀は家制度に封建制が反映している事実を認めた上で、家制度の廃止に賛成しています。
ということは有賀はこの時点では千田氏の言うように「家」概念を救い出そうとしていたとは言えないように思われます。
 
このように、一口に、戦後の有賀、といっても発言にかなり大きなブレがあるようです。戦前から戦後の日本社会の価値観の変動の中で有賀自身も考えが大きく揺れていたようです。
以上から、千田氏の、
 
「家」という言葉が、敗戦によって「封建的」な「前近代性」であるという意味を担わされることによって、有賀は逆に「家」という言葉をそのような意味から救い出そうとして、「家」概念を構築していくようになる。
 
との上記記述は、少なくとも有賀の1947年の「日本の家制度は決してそんなによいものではない。多くの無理があるのである。」との発言および1955年の「私としても家制度に封建制が反映していないなどと思うわけではない」「私は家制度の廃止に賛成する立場を認めないわけではない」との発言と矛盾しており、事実に反する記述です。
 
【注】
有賀喜左衛門の写真は次のHPにあります(第7代 日本女子大学学長):
 
 
 
【注意:本記事は千田有紀氏の博士論文に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。】