松浦晋二郎ブログ

民事訴訟は私人間の権利義務を私的自治の範囲内で自由に処分する場であり学問上の真理を確定するための場ではないので民事訴訟と学問上の真理確定とは無関係である。従って自己の著書論文に多数の学問的間違いを書いている学者が、自己の著書論文の学問的間違いを指摘した相手のことを恨み、名誉毀損を理由に民事訴訟で当該相手を訴えて恫喝し無理やり相手に「謝罪文」を書かせてみても学問上の真理を自己に有利に書き換えることは不可能/東大文学部卒業。同志社ロー修了/行政書士試験合格/連絡先ivishfk31@gmail.com

千田有紀氏・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(11)川本彰氏の著書からの無断引用 63頁、159頁

【注意:本記事は千田有紀氏の博士論文に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。】

 

1 千田有紀氏は博士論文の中で次のように書いています(青字部分):

 

「家族」の原語であるfamilyは、語源的にはラテン語のfamilliaという語から生じているが、・・・(63頁、159頁)

 

しかし川本彰『家族の文化構造』(1978年、講談社現代新書)32頁には次のように書かれています(青字部分):

 

英語のファミリイfamilyの語源はラテン語のfamilliaである。

 

つまり千田氏の博士論文は川本彰氏の著書の記述と同じことが書いてあります。ところが千田氏は、上記引用個所が川本の1978年の上記著書からの引用である旨、明記していませんしその旨の注釈もつけていません。

 

2 また千田氏は博士論文の中で次のように書いています(青字部分):

 

今日、OED(Oxford English Dictionary)でfamilyを引くと、社会的な家族の意味は四つ
ある。
1.a・The servants of a house or establisment.
2.a・The body of persons who live in one house or under one head,including parents,
children,servants,etc.
3.a・The group of persons consisting of the parents and their children,whether actually
living together or not;in wider sense,the unity formed by those who are nearly connected
by blood or affinity.
4.a・Those descended or claiming descent from a common ancestor:a house,kindred,
lineage

 

一.家(a house)あるいは家庭(establisment)の使用人達、
二.一つの家の内に、あるいは一人の家長の下に生活している親、子供、使用人などの集団、
三.同居あるいは別居にかかわらず、親とその子供たちからなる集団、より広義には血縁あるいは姻戚関係で密接に結ばれている人々の集団(unity)、
四.祖先を同じくする、あるいは同じくするといっている人々、家(a house)、親族、同族。(63頁)

 

しかし上記の日本語訳の部分は川本彰『家族の文化構造』(1978年、講談社現代新書)47-48頁の記述と完全に同一です。

川本は「ところで英語のファミリイの意味はどうか。はじめに最大のN・E・D(Oxford English Dictionary)をみると、ここでは大変くわしく語義として十一通りもあげてある。ここで問題の家族に関係あるのは、その内の一から四までであり、五以下は転義である。それで四までここに訳出しておく。」(『家族の文化構造』47頁)と書いたうえで、

 

一.家(a house)あるいは家庭(establisment)の使用人達、
二.一つの家の内に、あるいは一人の家長の下に生活している親、子供、使用人などの集団、
三.同居あるいは別居にかかわらず、親とその子供たちからなる集団、より広義には血縁あるいは姻戚関係で密接に結ばれている人々の集団(unity)、
四.祖先を同じくする、あるいは同じくするといっている人々、家(a house)、親族、同族。

 

と訳出しています。

千田氏は川本が「N・E・D」と書いていたのを「O・E・D」に変更した上で、川本が行った「N・E・D」の「family」の日本語訳出部分を、川本の著書からの引用である事実を明示することなく丸写しして、博士論文に利用しています。日本語訳出は川本氏が行ったのですから、千田氏はその旨、注釈をつけるなどして明記すべきではないのでしょうか?

 

以上のような千田氏の行為を、学者の世界ではなんと呼ぶのでしょうか?

またこのような行為は、千田氏のキャリアにどのような結果を招来するでしょうか?(

 

 千田有紀著『女性学/男性学』(2009年、岩波書店)169頁において、千田氏は自分の大学院時代について次のように書いています。「大学院時代にお世話になった元指導教員の上野千鶴子先生。・・・『とくべつに指導はしない』と公言されている先生のもとで、本当に自由にやらせてもらいました。

 千田氏は何を「本当に自由に」やらせてもらったのでしょうか?