松浦晋二郎ブログ

民事訴訟は私人間の権利義務を私的自治の範囲内で自由に処分する場であり学問上の真理を確定するための場ではないので民事訴訟と学問上の真理確定とは無関係である。従って自己の著書論文に多数の学問的間違いを書いている学者が、自己の著書論文の学問的間違いを指摘した相手のことを恨み、名誉毀損を理由に民事訴訟で当該相手を訴えて恫喝し無理やり相手に「謝罪文」を書かせてみても学問上の真理を自己に有利に書き換えることは不可能/東大文学部卒業。同志社ロー修了/行政書士試験合格/連絡先ivishfk31@gmail.com

千田有紀氏・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(10)森岡清美氏の著書からの無断引用

【注意:本記事は千田有紀氏の博士論文に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。】

 

千田有紀氏は博士論文において、かつて「家族」に「一」をつけて「一家族」という用法が日常語にもあった、と述べた上でその具体例として次のように書いています(青字部分):

 

まず田山花袋の『生』(1908)のなか[ママ]ある「日の暮れる頃、わアーッわアーッと言う声が聞える。これは士官学校で、生徒が食後の運動の為め、号令の訓練を遣るのである。其頃初めて牛込に住んだ人々は、必ず一度は此声の何たるかに驚く。現にこの一家族も田舎から出た時にはその耳を疑ったのである」という記述がある。(37頁)

 

上記引用中「」内の記述は森岡清美氏の著書『現代家族の社会学』(1991年、放送大学教材)19頁及び森岡氏の『現代家族変動論』(1993年、ミネルヴァ書房)83頁に記載されている記述と同一です。

しかし千田氏は上記記述が森岡清美氏の著書からの引用である事実を明記していません。

 

また、千田氏は上記に続けて次のように書いています(青字部分):

 

また賀川豊彦の『一粒の麦』(1931)のなかには、「彼女は、機のほかに朝早くから起きて、嘉吉一家族のために食事の支度をなし、嘉吉の母が起きて来る時にはもう飯も味噌汁も炊けているくらい、手回しよく働いた」という部分がある。(37頁)

 

上記引用中「」内の記述は森岡清美氏の著書『現代家族の社会学』(1991年、放送大学教材)19頁に記載されている記述と同一です。

しかし千田氏は上記記述が森岡清美氏の著書からの引用である事実を明記していません。

 

 田山花袋賀川豊彦の小説の中に「一家族」という表現が用いられている事実を発見したのは森岡清美氏であり、森岡清美氏の研究成果なのですから、他の研究者が森岡氏の当該研究成果を博士論文の中で引用する際はその旨、注釈をつけて明記すべきではないでしょうか?千田氏はなぜ注釈をつけなかったのでしょうか?

 

以上のような千田氏の行為を、学者の世界ではなんと呼ぶのでしょうか?

またこのような行為は、千田氏のキャリアにどのような結果を招来するでしょうか?(

 

【注】

 千田有紀著『女性学/男性学』(2009年、岩波書店)169頁において、千田氏は自分の大学院時代について次のように書いています。「大学院時代にお世話になった元指導教員の上野千鶴子先生。・・・『とくべつに指導はしない』と公言されている先生のもとで、本当に自由にやらせてもらいました。

 千田氏は何を「本当に自由に」やらせてもらったのでしょうか?