松浦晋二郎ブログ

民事訴訟は私人間の権利義務を私的自治の範囲内で自由に処分する場であり学問上の真理を確定するための場ではないので民事訴訟と学問上の真理確定とは無関係である。従って自己の著書論文に多数の学問的間違いを書いている学者が、自己の著書論文の学問的間違いを指摘した相手のことを恨み、名誉毀損を理由に民事訴訟で当該相手を訴えて恫喝し無理やり相手に「謝罪文」を書かせてみても学問上の真理を自己に有利に書き換えることは不可能/東大文学部卒業。同志社ロー修了/行政書士試験合格/連絡先ivishfk31@gmail.com

千田有紀氏・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(3)戸田の著書からの引用であるにもかかわらず引用の事実を明記せずに千田氏本人が書いた記述であるかのように書く。79頁。

【注意:本記事は千田有紀氏の博士論文に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。】

 

千田有紀氏は博士論文の中で戸田貞三の家族学説について次のように書いています(青字部分):

 

【千田氏の記述】

子に対する愛情があわられて育児の機能となるごとく、親に対する愛着追慕の感情があらわれて祖先崇拝の行事となるものと考えられる。注1

 

しかしこの記述は、戸田貞三著『家族構成』(1937年版の1970年復刻版)45頁の引用です。

上記【千田氏の記述】では「・・・育児の機能となるごとく」、戸田の著書では「・・・育児の機能となるごとく」と書かれています。つまり【千田氏の記述】では戸田の原文に「が」が付け加えられているだけです。

また、上記【千田氏の記述】には戸田の著書からの引用であることを示す注釈は付けられていませんし、かつ、引用であることを示す「」で括られてもいません。

上記【千田氏の記述】では「・・・と考えられる。」と記述しており、あたかも「考えた」主体が千田氏であるかのように書かれていますが、実際には「考えた」主体は戸田であって、千田氏ではありません。

 以上のように、千田氏は、戸田の著書からの引用であるにもかかわらず、引用である旨を明記しないまま戸田の原文に「が」だけを付け加えて引用し、あたかも千田氏が書いた記述であるかのように書いています。

 

以上のような千田氏の行為を、学者の世界ではなんと呼ぶのでしょうか?

またこのような行為は、千田氏のキャリアにどのような結果を招来するでしょうか?(注2

 

 

【注】

(注1)千田博士論文79頁。

(注2)千田有紀著『女性学/男性学』(2009年、岩波書店)169頁において、千田氏は自分の大学院時代について次のように書いています。「大学院時代にお世話になった元指導教員の上野千鶴子先生。・・・『とくべつに指導はしない』と公言されている先生のもとで、本当に自由にやらせてもらいました。

 千田氏は何を「本当に自由に」やらせてもらったのでしょうか?