松浦晋二郎ブログ1(連絡先:ivishfk31@gmail.com)

2017年2月から4月まで松浦晋二郎は千田有紀の論文に「千田の博士論文」と「千田の博士論文ではない論文」という全く同一タイトルの2つの異なる論文が存在する事実を知らずに後者を前者であると勘違いしてブログ記事を執筆していた。ところが千田は松浦が上記勘違いをして記事を書いている事実を松浦に教えずに黙ってじっと見ていて松浦のブログ記事数がたまったところで同年4月下旬名誉毀損を理由に提訴した。千田は自己の意思で千田の主張する「名誉毀損」の「損害」を自ら拡大させ続けた。

千田有紀著・博士論文「『家』のメタ社会学」を読む(1)「戸田は戦後的状況とは異なり、日本の家族を欧米の家族と相反するものとは捉えなかった」(17頁)??

 

 

 

1 千田有紀氏(武蔵大学教授)は東京大学の博士論文(注1)17頁において東京帝国大学名誉教授、故・戸田貞三に関して次のように書いています(青字部分)。

 

戸田は戦後的状況とは異なり、日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえず、「家」という言葉にとくに重要な意味あいをもたさなかった。

 

2 上記記述のうち、「戸田は戦後的状況とは異なり、日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえ」なかった、の部分について。

この記述には大きな疑問があります。

なぜなら戸田は戦前、著書『家族の研究』(1926年、弘文堂書房)において、日本の家族(=家長的家族)には「家族精神の永続性」が存在しているのに対して欧米の家族(=近代的家族)にはそれが存在することが極めて少ない事実、及び、我が国民はこの家族精神の永続性を尊重し、其連続を助長するために、家族員相互の関係、及び家族員と他の者との関係に、特有なる形式を定めている事実を指摘し、日本の家族と欧米の家族との相違点について次のように書いているからです(青字部分):

 

「此家族精神の永続性は、我国の家族の如き親子協同の家族団体に於いてのみある事であって、欧米の家族の如き夫婦中心の家族団体に於いては極めて少ない事である。」注2

 「我国民は此の家族精神の永続性を尊重し、其連続を助長する為に、家族員相互の関係、及び家族員と他の者との関係に、特有なる形式を定めて居る」(注3

 

 

また戸田は『家族構成』(1937年版の1970年復刻版)においても近代的家族と家長的家族の相違点について次のように書いています:

 

◎・・・この析出作用によって近代的家族は家長的家族よりも一層強く家族の封鎖性を維持し得る。・・・(近代的家族にあっては)一組の夫婦だけを中心とするという極めて排他性の強い小集団となる。(同書56頁)

◎伝統尊重の観念弱く、感情融和の程度を異にする場合直ちに分離し、最もよく感情的に一致し得る者とのみ家族を構成する傾向ある欧米人の家族に比較すれば、家族的伝統を維持し、これを尊重する傾向あるわが国民の家族中には、員数の多いものがやや多くなっている。(同書155頁)

◎独英人が家族の伝統に重きを置く家長的家族の形式によらず、近代的家族の形式によって家族を構成する(同書176頁、注10)

 

このように戸田は戦前に日本の家族と欧米の家族との相違点について記述していました。

にもかかわらず、千田氏は「戸田は、・・・日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえ」なかった、と記述しています。

 

千田氏の記述は戸田の著書の記述と矛盾しており、事実に反する記述です。

事実に反する内容を学術論文で書く行為を、学者の世界ではなんと呼ぶのでしょうか?

またこのような行為は、千田氏のキャリアにどのような結果を招来するでしょうか?(注4

 

ちなみに千田氏はツイッターでは次のように発言しています:

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3 千田氏は著書『女性学/男性学』(岩波書店)の中で、「女は男の便所、便所からの解放」思想(注5)を前提に、言葉の意味をずらして攪乱し、言葉の意味を変えて言葉に亀裂を入れる(注6)ことによって「男の論理」を崩すことを主張(注7)しています。

しかし千田氏は、上記のように博士論文の中で事実に反する記述を行うことによって、男(=戸田貞三)の言葉の意味を変えて、男の言葉に亀裂を入れて、「男の論理」(=戸田貞三の論理)を崩すことが本当にできたのでしょうか?「男の論理」とはその程度のことでそんなに簡単に崩せるものなのでしょうか?

 

 4 千田氏のお師匠の上野千鶴子氏が運営するサイト「WAN」では次のようなページがあります:

wan.or.jp

上記リンク先によれば千田氏は「WAN女性学ジャーナル」の 「第1期編集委員」を務めています。

「WAN 女性学ジャーナルの刊行を!―創刊に当たっての趣意書-」の冒頭には次のように書かれています(青字部分):

 

日本で女性学が生まれて、すでに40 年以上が経ちます。客観性と性中立性を標榜しつつ、実は男性目線で営まれてきた既成のアカデミズムの世界に、女性の視点で切り込み、近代社会の原理そのものを問う学問として、女性学は、多くの成果を上げてきました。(引用終)

 

この記述を敷衍すると次のようになります。すなわち「既成のアカデミズムの世界」は、客観性と性中立性を標榜しつつも、実は男性目線で営まれてきた。つまり「既成のアカデミズムの世界」は客観性と性中立性を標榜してはいたが男性目線による偏向(偏り)が存在していた点で問題が存在していた。WANは「既成のアカデミズムの世界」をこのように批判したうえで、女性学はこの「既成のアカデミズムの世界」に女性の視点で切り込み、多くの成果を上げてきた、と述べています。

WANの主張する、客観性と性中立性を標榜しつつ実は男性目線で営まれてきた「既成のアカデミズムの世界」に女性学が女性の視点で切り込んだ結果、戸田貞三が戦前に日本の家族と欧米の家族の相違点について書いていたにもかかわらず、上記の千田氏の博士論文では、「戸田は、・・・日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえ」なかった、という、客観的事実に反する「学問的知見」が得られました。

しかしこのような客観的事実に反する「学問的知見」が得られるくらいなら、むしろ、「既成のアカデミズムの世界」のほうが「女性学」の「女性の視点」よりも何倍もマシだったのではないでしょうか?

ちなみに千田氏の博士論文の審査委員「主査」は上野千鶴子氏です(注8)。

http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=114893

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5 千田有紀氏は平成29年度科学研究費の審査委員をしています:

審査委員名簿 | 科学研究費助成事業|日本学術振興会

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では千田氏自身は「科学」及び、学問的「客観性」「中立性」についてどのように考えているのでしょうか?

著書『女性学/男性学』の中で千田氏は次のように書いています:

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このように千田氏は、

◎科学は決して「客観的な事実」を伝えるのではない、「客観的な事実」の存在自体も怪しい、

◎そもそも「中立」も「客観性」も存在しない、

と著書に書いています。

 

 

[注]

(注1)「家」のメタ社会学 : 家族社会学における「日本近代」の構築。

千田氏には全く同一タイトルでありながら、「博士論文」と、「博士論文ではない論文」という、2つの異なる論文があります。博士論文ではない論文は岩波『思想』No.898号に所収されています。私が今回問題にしているのは千田氏の「博士論文」についてです。

当ブログ過去記事ですでに述べたように、当ブログでは上記2つの論文を区別するため、千田氏の博士論文を「千田博士論文」、岩波『思想』No.898号所収の、博士論文ではない論文を「千田岩波論文」と呼ぶことにしています。

 

◎「千田博士論文」の「内容要旨」はこちらで公開されています: http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=114893

 

◎千田博士論文17頁の「戸田は戦後的状況とは異なり、日本の家族を欧米の家族と相反するものとはとらえず、「家」という言葉にとくに重要な意味あいをもたさなかった。」と同一内容の記述が千田博士論文159頁にも書かれている。

 

(注2)同書254頁。

同書2-3頁にも家長的家族は「家族団体の永続」「家族団体の持続」という特質を有している点でそれを主要目的としていない近代的家族とは性質が異なる、との趣旨の記述がある。

(注3)同書255頁。

(注4)千田氏は戸田貞三に関して、本文で述べた以外にも学問的に疑問のある記述を行っています。次の過去記事を参照ください:

★★★千田有紀著『日本型近代家族』に関する松浦晋二郎の質問【2】 戸田貞三は「家長的家族の成立条件や内実を詳しく示さなかった」?(甲第16号証関連) - 松浦晋二郎ブログ

 

(注5)「女は男の便所、便所からの解放」思想

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(注6)「言葉の亀裂」理論

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(注7)

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 (注8)

上野千鶴子氏は著書『女遊び』の中で「就職口の可能性があるとき、私自身は、できるだけ意図的に女性を推すようにしている。あからさまに男性に逆差別を行使している」と書いています:

 「就職口の可能性があるとき、私自身は、できるだけ意図的に女性を推すようにしている。候補者が2人以上いて能力が等しければ、もちろん女性の方を、それどころかもし女性の方に若干問題があっても、やはり女性の方を推すことにしている。つまり、あからさまに男性に逆差別を行使しているのである。女性はずっと差別されつづけてきたから、少々の逆ハンディをつけなければ、男とはとうてい対等にはなれないからである。」

 (上野千鶴子著『女遊び』学陽書房1988年、238頁)

 

 【注意:本記事は千田有紀氏の博士論文に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。】