松浦晋二郎ブログ

民事訴訟は私人間の権利義務を私的自治の範囲内で自由に処分する場であり学問上の真理を確定するための場ではないので民事訴訟と学問上の真理確定とは無関係である。従って自己の著書論文に多数の学問的間違いを書いている学者が、自己の著書論文の学問的間違いを指摘した相手のことを恨み、名誉毀損を理由に民事訴訟で当該相手を訴えて恫喝し無理やり相手に「謝罪文」を書かせてみても学問上の真理を自己に有利に書き換えることは不可能/東大文学部卒業。同志社ロー修了/行政書士試験合格/連絡先ivishfk31@gmail.com

★★★千田有紀著、岩波『思想』No898・1999年4月号所収「『家』のメタ社会学:家族社会学における『日本近代』の構築」に関する松浦晋二郎の質問【3】「法制史の分野では・・・いわれてきた。・・・確信されてきた。・・・意識されてきた。」

 

千田有紀教授は論文(注)において次のように記述しています:

 

法制史の分野では、明治民法にみられる封建武士的=儒教的家族は、「本来」の「家」の「歪曲」、「いえ」からの「逸脱」であり、人為的に構築されたものにすぎないと、いわれてきた。そして、戦後「家」制度が廃止されたにもかかかわらず、「家」がなくならないことから、明治以前の「本来」の「家」、とりわけ民衆の「いえ」が文化の奥底で残りつづけていることが確信されてきた。それこそ伝統家族論の検討の際に述べられていたような「日本人の家族行動の「基層」」、「日本的なもの」の存在が意識されてきたのである。【引用終】

 

 このように千田教授は「法制史の分野では・・・いわれてきた。・・・確信されてきた。・・・意識されてきた。」と記述していますが、その学問的根拠はなんでしょうか?

 「いわれてきた」とありますが、それは法制史学者の誰が言ったのでしょうか?法制史学者の何人中、何人がそのように言ったのですか?

 「確信されてきた」とありますが、法制史学者全員が一堂に会して、「確信した」という、全員一致の議決でもしたのでしょうか?それとも社会調査か何かの調査結果でしょうか?

 「意識されてきた」とありますが、それは法制史学者の誰が意識してきたのでしょうか?法制史学者の何人中、何人が意識したのですか?

 

 以上の点について学問的根拠を明示した回答をよろしくお願いします。

 

(注)千田有紀著、岩波『思想』No898・1999年4月号所収「『家』のメタ社会学:家族社会学における『日本近代』の構築」87頁。