松浦晋二郎ブログ

民事訴訟は私人間の権利義務を私的自治の範囲内で自由に処分する場であり学問上の真理を確定するための場ではないので民事訴訟と学問上の真理確定とは無関係である。従って自己の著書論文に多数の学問的間違いを書いている学者が、自己の著書論文の学問的間違いを指摘した相手のことを恨み、名誉毀損を理由に民事訴訟で当該相手を訴えて恫喝し無理やり相手に「謝罪文」を書かせてみても学問上の真理を自己に有利に書き換えることは不可能/東大文学部卒業。同志社ロー修了/行政書士試験合格/連絡先ivishfk31@gmail.com

★★★千田有紀著、岩波『思想』No898・1999年4月号所収「『家』のメタ社会学:家族社会学における『日本近代』の構築」に関する松浦晋二郎の質問【1】(甲第1号証、第9号証関連)

【このブログの閲覧者のみなさまへ

本件記事の内容は2017年2月18日、同年3月11日に当ブログとは別のブログ「総合研究所」(現在はすでに閉鎖しています)で私が書いた過去記事の修正バージョンです。当該2月18日、同年3月11日の過去記事では、私なりに学問的根拠を挙げて記述していましたが、当時私は千田岩波論文と千田博士論文という全く同一タイトルの、異なる2つの論文がある事実を知らず、かつ、千田岩波論文を千田博士論文であると誤解したまま記事を書き、「千田博士論文は◎◎」「千田博士論文は××××」という断定的な評価を結論として書いていた点について私は同年4月に千田教授から名誉毀損であるとの指摘を受けました。そこで今回は千田岩波論文についての2月18日、同年3月11日の過去記事から、「◎◎」「××××」という断定的評価を削除し、また、「・・・である」といった断定的表現をできるだけ削除・修正し、私が千田教授の論文(千田岩波論文)に関して、千田教授に対して質問をする、という内容の記事に修正し書き改めたのが本件記事です。表現も、より解りやすい内容に書き直しました。以上から、もはや本件記事については法的問題は存在しない、と考えていますが、もし本件記事に関して法的に問題があるとお考えの方がいらっしゃいましたら私にメールを下さるようお願いします。

(連絡先)ivishfk31@gmail.com

 

  

 

第1 千田有紀教授は岩波『思想』No898・1999年4月号所収「『家』のメタ社会学:家族社会学における『日本近代』の構築」(この論文を以下「千田岩波論文」と呼びます)において「戦後民法はある面で明治民法と連続性を持っている」と述べた上で、明治民法と戦後民法の「連続性」の具体例として、旧民法788条(「妻は婚姻に因りて夫の家に入る。入夫及び婿養子は妻の家に入る」)と新民法750条(「夫婦は婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」)という、全く異なる内容を定めた法規範を比較して、戦後民法と明治民法の法的「連続性」を論証しています。 

 しかし、家制度について定めていた明治民法の条文と、家制度が廃止された戦後民法の条文とを比較してみても、両者に法的連続性は認められないのではないでしょうか?

  千田教授は「ほとんどの夫婦が夫の氏を名乗っている現在、男性世帯主を中心とする家族制度の保持という点では一貫している」と書いていますが、戦後にそのような社会的事実があったからと言って、なぜ、家制度が存在していた明治民法と家制度が廃止された戦後民法の間に法的連続性が存在する、と言えるのでしょうか?

 千田教授は「戦後民法はある面で明治民法と連続性を持っている」と書いていますが、そもそも「ある面」とはいったいどの面でしょうか?「ある面」とは法規範を規定する条文の内容面以外の別の面、という意味でしょうか?もしそうであるとすればそれは法規範の連続性の話ではなくなるのではないでしょうか?

 

第2 また千田教授は次のように記述しています:

 

◎祭祀に関しては、家督相続人の義務(九八七条)から、慣習に従う(八九七条)ことになった(千田80頁)。【引用終】

 

しかし明治民法987条は「系譜祭具及び墳墓の所有権は家督相続人の特権に属す」と規定していました。千田教授は明治民法987条の「特権」の文言を論文では「義務」に書き換えています。「特権」の文言を「義務」に書き換えを行ったことについて千田教授は何の理由説明も行っていません。千田教授は、なぜ、どのような学問的根拠で、このような条文の文言の書き換えを行ったのでしょうか?

 

 

 千田有紀教授は明治民法と戦後民法の「連続性」の具体例として、祭祀に関して、家督相続人の特権と定めていた明治民法987条と、慣習に従うと定めている戦後民法897条を挙げています(注1)。

 

 しかし明治民法987条と戦後民法897条とは全く異なる内容を定めた条文ですから、これを明治民法と戦後民法の「連続性」の具体例として挙げることはできないのではないでしょうか?どのような学問的根拠で、このような記述をされたのでしょうか?

 

第3 千田教授はまた「戦後民法はある面で明治民法と連続性を持っている」ことの具体例として、戦後民法について「相続に関しては長子単独相続は、法制度上は廃止された」と書いた上で次のように書いています:

 

 森岡も依拠する「全国家族計画世論調査報告書」(毎日新聞社)に基づく「財産や事業をめぐる意識」の変遷を見ても「長男または長女だけに」「子ども全部に平等に」、という回答はともに、横ばいを続けながら減少傾向にあり、「将来めんどうをみてくれる子どもだけに」という選択肢が、「わからない・その他」の選択肢と交換に、飛躍的な増加傾向を見せている。このように相続の問題は、親の扶養の問題と切り離すことのできない問題であり、一概に単独相続から均等相続へ変化したとはいえない(注2)。【引用終わり】

 

 しかし、森岡(清美)が依拠する「全国家族計画世論調査報告書」(毎日新聞礼)の「財産や事業をめぐる意識」の変遷に関するデータにおいて「将来めんどうをみてくれる子どもだけに」という選択肢が、「わからない・その他」の選択肢と交換に、飛躍的な増加傾向を見せた、という社会的事実が存在すると、なぜ、「戦後民法はある面で明治民法と連続性を持っている」という結論が導かれるのでしょうか?

  長子単独相続制度が存在した明治民法と、それが廃止された戦後民法との間には、少なくとも「長子単独相続制度」の有無、という点では法的連続性は存在しないのではないのでしょうか?

 

第4 千田教授は80頁本文では「ある面で」連続している、と記述していたのが、98頁の注12では「新民法が明治民法との連続性をもつ」と断定しています。つまり98頁注12では80頁の本文に記述されていた「ある面で」という限定は除去されています。

  千田教授は、どのような学問的根拠に基づいて「ある面で」という限定を除去したのでしょうか?

 

第5 千田岩波論文80頁では明治民法から戦後民法への民主的変化について「単語のレベルでの民主化」と書かれています。

 しかし、戦後民法によって、明治民法下の「家制度」や「妻の行為無能力制度」が 廃止されるなど、法的レベルで相当に大きな民主的変化が起こりました。それなのに、なぜ、どのような学問的根拠で、「単語のレベルでの民主化」と記述されたのでしょうか?

 

 

 以上の点につき、学問的根拠を明示した回答をお願いします。

 

 

【注】

(注1)『思想』No.898、1999年4月号、岩波書店、80頁。

(注2)(注1)と同一論文、同一頁参照。