松浦晋二郎ブログ

民事訴訟は私人間の権利義務を私的自治の範囲内で自由に処分する場であり学問上の真理を確定するための場ではないので民事訴訟と学問上の真理確定とは無関係である。従って自己の著書論文に多数の学問的間違いを書いている学者が、自己の著書論文の学問的間違いを指摘した相手のことを恨み、名誉毀損を理由に民事訴訟で当該相手を訴えて恫喝し無理やり相手に「謝罪文」を書かせてみても学問上の真理を自己に有利に書き換えることは不可能/東大文学部卒業。同志社ロー修了/行政書士試験合格/連絡先ivishfk31@gmail.com

★★★千田有紀著『日本型近代家族』に関する松浦晋二郎の質問【1】 ~日本の「家長的家族」は、一から六の条件を満たすものである??~(甲第12号証関連)

 【本件記事の内容は2017年2月28日に当ブログとは別のブログ「総合研究所」(現在はすでに閉鎖しています)で私が書いた過去記事の修正バージョンです。当該2月28日の過去記事では、私なりに学問的根拠を挙げて記述していましたが、私が千田教授の著書に関して「◎◎」という断定的な評価を結論として書いていたために私は同年4月に千田教授から名誉毀損であると指摘を受けました。そこで今回は「◎◎」という断定的評価や「・・・である」といった断定的表現をできるだけ削除・修正し、私が千田教授の著書に関して、千田教授に対して質問をする、という内容の記事に修正し書き改めたのが本件記事です。ただし上記修正個所以外は、本件記事は2月28日の過去記事と同一内容であり、2月28日の過去記事も、修正後の本件記事も、ともに、全く同一の学問的根拠を挙げて記述しています。私は本件記事によって2月28日の過去記事の法的問題はクリアできたと考えていますが、もし本件記事に関して法的に問題があるとお考えの方がいらっしゃいましたら私にメールを下さるようお願いします。

(連絡先)ivishfk31@gmail.com

 

 

 武蔵大学教授・千田有紀氏はその著『日本型近代家族』(勁草書房、2011年)の中で東京帝国大学名誉教授・戸田貞三(故人)が家族の特質をどのようにとらえたのか、次の六点にまとめて検討しよう、と述べ、戸田の著書『家族構成』(1937年)から引用し次のように書いています:

 

一 家族は夫婦、親子およびそれらの近親者よりなる集団である。
二 家族はこれらの成員の感情的融合にもとづく共同社会である。
三 家族的共同をなす人々の間には自然的に存する従属関係がある。
四 家族はその成員の精神的ならびに物質的要求に応じてそれらの人々の生活の安定を保障し経済的には共産関係をなしている。
五 家族は種族保存の機能を実現する人的結合である。
六 家族は此世の子孫が彼世の祖先と融合することにおいて成立する宗教的共同社会である。(戸田)1937-1970:37)
戸田によれば、欧米の「近代的家族」は、一から四の条件を満たすものであり、日本の「家長的家族」は、一から六の条件を満たすものである(注1)。【引用終わり。】

 

  千田教授の引用にかかる上記「一」から「六」の青字部分は戸田が「家族の集団的性質」に関する諸学者の所説を要約したものです。戸田は諸学者の所説を「一」から「六」までに要約したうえで、これらを批判的に検討しながら自説を展開しています。戸田は家族を「家長的家族」と「近代的家族」の二類型に分けて考察した学者です。

 そして上記ピンクの字の部分は千田教授の解説部分です。

 千田教授はこのように書いていますが、戸田は、本当に日本の家長的家族は一から六の条件を満たすものである、と書いているのでしょうか。

 

【千田教授への質問1】

まず、戸田は、千田教授の記述どおり、日本の家長的家族は「五 家族は種族保存の機能を実現する人的結合である。」との条件を満たすと考えていたのでしょうか。この点について千田教授に質問します。

 

 戸田は『家族構成』の中で次のように書いています:

 

・・・しかしながら第一に子供の出生は親となるべき男女の生理的条件に支配されること多く、夫婦の性的共同が行われるとしても出生は必ずしも期待し得られぬ。それは人為以外の自然的作用に侯つところが多い。それ故にかかる自然的生物的作用を以て人為的に構成される家族の重要機能と観ることは出来ぬ。次にまたかりに出生によって子供を得ることが出来るとしても、子供を扶育する親は自己の種族保存のため、または家系の継承のためというがごとき功利的の要求のみを主としているのではない。家長的家族にはかくのごとき態度を持って子供を養育する場合ありとしても、近代的家族には、このような功利的意味を持って子を育てるものはない。育児は近代的家族においても一般に行われているが、それは他の目的要求にもとづくものでなく、子に対する限りなき愛情のあらわれである。また家長的家族においても血統の連続、家系の存続というがごとき要求にのみ従がって子供が養育せられているのではなく、家系の維持に直接関係あると否とを問わず(たとえば他家へ嫁すべき運命を持つ女子のごとき)、育児のためには多大なる犠牲が払われている。かくのごとき犠牲は親が子に対して持つ愛情を別にしては起り得ない。このように考えてみれば、子供の扶育は多くの家族において行われる日常生活の一面であるが、それは血統の維持、種族の保存、または家系の存続というがごとき目的遂行の手段としてのみ行われているのではなく、主として親の愛情の具体的発現である。それは結果を予想した目的的行為というよりは、はるかに強く人間自身に対する愛情に基礎を置いたものと云い得る。したがって育児は家族における感情融合の一つのあらわれであるが、しかしその故に家族は種族保存または血統維持の機能実現のためにできた機関であるとは云われない(注2)。【引用終わり】

 

 以上のように戸田は、家長的家族においても、子供を扶育する親は自己の種族保存のため、または家系の継承のためというがごとき功利的態度を持って子供を養育する場合もある、とは述べつつも、結論としては、家族は種族保存または血統維持の機能実現のためにできた機関であるとは云われない、と書いています。つまり戸田は日本の「家長的家族」が上記「五」の条件を満たすものである、とは書いていないように読めます。戸田は「五」の条件を満たさなくても「家長的家族」たりうる、と書いているように読めます。

 すると、千田教授はなぜ、どのような学問的根拠で、日本の家長的家族は「五 家族は種族保存の機能を実現する人的結合である。」の条件を満たす、と断定したのでしょうか?

 学問的根拠を明示して、ご回答をよろしくお願いします。

 

【千田教授への質問2】

 また、上記「六 家族は此世の子孫が彼世の祖先と融合することにおいて成立する宗教的共同社会である。」の条件についても戸田は「家長的家族にあっても祖先と子孫の融合という宗教的共同が家族の基本になっているのではない」「たとい家長的家族にあってもこの宗教的共同が家族にその存立の基礎を与えているのではない」(注3)と述べています。したがって戸田は家長的家族は上記条件「六」を満たすものである、とは書いていないように読めます。戸田は条件「六」を家長的家族の条件として考えていないように読めます。

 では、千田教授は、なぜ、どのような学問的根拠で、家長的家族は上記条件「六」を満たすものである、と断定したのでしょうか?

 学問的根拠を明示して、ご回答をよろしくお願いします。

 

 

(注1)千田『日本型近代家族』(勁草書房、2011年)127-128頁。

(注2)戸田貞三『家族構成』(1937年発行版の1970年復刻版)44頁。

(注3)戸田貞三『家族構成』(1937年発行版の1970年復刻版)45頁。